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東京高等裁判所 昭和29年(ネ)1911号 判決 1956年9月29日

原告(一八八九号控訴人) 片山滝男 外一三名

原告(一九一一号被控訴人) 堀本浩

被告(一八八九号被控訴人一九一一号控訴人) 中央労働委員会

被告補助参加人 品川白煉瓦株式会社

主文

原判決中第一審原告堀本浩に関する部分を取消す。

第一審原告堀本浩の請求を棄却する。

第一審原告堀本浩を除くその余の第一審原告等の控訴はいずれもこれを棄却する。

第一審原告堀本浩と第一審被告との間に生じた訴訟費用は第一、第二審共第一審原告堀本浩の負担とする。

第一審原告堀本浩を除くその余の第一審原告等の控訴費用は同原告等の負担とする。

事実

第一審原告(以下原告という)等訴訟代理人は原判決中原告堀本浩を除くその余の原告等敗訴の部分を取消す、第一審被告(以下被告という)が昭和二十七年六月二十五日附で再審査申立人品川白煉瓦株式会社、同被申立人片山滝男外二十二名間の中労委昭和二十六年(不再)第四十六号事件及び再審査申立人砂場稔、同被申立人品川白煉瓦株式会社間の中労委昭和二十六年(不再)第四十七号事件につき右原告等に対してなした命令を取消す、訴訟費用は第一、第二審共被告の負担とするとの判決、並に被告の本件控訴を棄却するとの判決を求め、被告指定代理人は、原告堀本浩を除くその余の原告等の本件控訴を棄却するとの判決、並に原判決中原告堀本浩に関する部分を取消す、同原告の訴を却下する、訴訟費用は同原告と被告との間に生じた部分は第一、第二審共同原告の負担とするとの判決、若し同原告に対する申立が理由がないときは同原告の請求を棄却する、訴訟費用は、同原告と被告との間に生じた部分は第一、第二審共同原告の負担とするとの判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用、認否は、被告指定代理人において次のとおり述べ、原告等訴訟代理人において、当審証人宮下大治、同山台輝夫、同赤津勉、当審における原告片山滝男、同砂場稔、同滝川明雄の各供述を援用し、被告指定代理人は当審証人河西源吉の供述を援用すると述べた外、原判決の事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。即ち、

被告指定代理人は、

(一)  本来行政訴訟を提起することができるのは、具体的に行政処分がなされたのに対しその違法を争う場合であつて未だ行政処分がないのにそれを争うことができないのは勿論である。而して行政処分とは行政主体の単独の意思によつて法律上の効果を発生するものと定義されているが労働委員会が労働者側の救済申立を棄却したときはそこに法律上の効果を生じないから、何等の行政処分が存在しないのである。即ち、国民は別段の定なき限り、行政機関に対してはその発動を促し得るのみで、発動を強制しえないことは行政法上の原則である。従て、行政官庁との間において、何等の権利義務関係なき場合における申立にあつては、その却下ないし棄却は行政処分の非発動を意味し、しかも発動すると否とは行政官庁(この場合は労働委員会)の権限に委されたものである。従て発動しないからとて訴訟の提起を許すとすれば、それは行政機関に対する国民の強制を許すことになる。労働組合法が第二十七条第六項で使用者について行政訴訟を提起することができる旨を規定しながら、労働者側についてはこの点について何等の規定を設けていないのも右の理由にもとずくものである。もしそうでなければ、労働組合法第二十七条第六項の定める三十日の出訴期間は、行政事件訴訟特例法第五条の定める六カ月の期間と甚だ権衡を失することとなる。

(二)  仮に労働委員会の棄却命令が行政処分とみられるとしても、労働者側はこれによつて新たな不利益を受けるわけはないから、右命令を訴訟で争うことについて何等の利益を有しないものといわなければならない。それは、次の如き理由による。

(1)  不当労働行為救済命令は使用者に対しこれに従うべき公法上の義務を課し、使用者の権利を積極的に害することはあるが、棄却命令が労働者側の権利を積極的に害することはあり得ない。棄却命令は労働者に対して、使用者に対するが如き、義務を課する性質のものでないからである。

(2)  不当労働行為救済制度の保護せんとする労働者側の権利とは団結権団体行動権である。労働者側は使用者の不当労働行為によつてこの権利を侵害されるが、労働委員会のいかなる処分も労働者側のこの権利(具体的権利ないし利益にとどまらず抽象的なものをも含む)を積極的にも消極的にも侵害するものではない。労働者側が不当労働行為の救済を労働委員会に申立て、労働委員会がその救済を拒否した場合、労働委員会は労働者側に何等新たな不利益を課すことにならない。それは単に救済による利益を与えられなかつたに過ぎない。

(3)  しからば、この「与えられるべかりし利益」とは如何なるものであろうか。

不当労働行為の救済命令は労働者に対使用者の権利を与えるものでなく、労使間の権利関係に影響を与えるものではない。労働者は使用者が救済命令を履行することによつて結果的に反射的な利益を受けるに過ぎない。従て労働者が不当労働行為救済申立について有する利益とはこの反射的利益の期待にほかならない。

(4)  拒否的行政処分に対して行政訴訟上の訴権が認められる場合は、当該処分とこれによつて害せられた利益との関係が直接的でありかつ法律的なものであるべきだと解する。

不当労働行為救済の申立は他人(使用者)に公法上の義務の発生を求むる行為であり、これによつて生じた使用者の義務と労働者側の利益との関係は法律上のものでなく事実上のものに過ぎない。単なる事実上の利益、しかも反射的な利益にもとずいて訴権を認めることのできないことは詳述する要もないのである。

(三)  労働組合法が不当労働行為及び労働委員会の制度を設けて労働組合の保護をはかつているのは、国家が労働組合育成の見地から労働者の団結に対して特に与えたいわば恩恵である。労働委員会が救済を与えるのは労働委員会の権限ないし職務には属するとしても、救済を与えるか否かと、かかる職務権限の有無とは別問題であり、申立と与えられる救済との関係は、権利に対する義務の如き対立関係にあるものではない。

而して労働委員会が仮に判決に拘束されるとしても、それはせいぜい裁判所の法律上の判断と相反する判断をすることができないというに止まり、判決と別の根拠に基いて新たな判断をすることを妨げないのである。従てこの点からいつても実益がないといわねばならない。

(四)  原告堀本浩は昭和二十五年七月十八日午後一時頃第一工場控室において何等の理由もなく突如工員浦光男の顏面を三回殴打し鼻から出血せしめたものであるが、当時会社は争議直後であつて会社から暴力の排除に努めていたので理由なき暴行を敢てした同原告を懲戒解雇したものであつて、同原告の組合活動を理由に解雇したものではないから不当労働行為には当らないと述べた。

理由

第一、被告の本案前の主張に対する判断

一、労働委員会の不当労働行為救済申立の却下または棄却の命令に対し取消訴訟が許されるや否やにつき案ずるに労働委員会が不当労働行為救済の申立を受けた場合には、審査の上、救済申立の全部または一部を許容し、または、これを棄却することを要するのであるが、苟も不当労働行為の存することが認められる以上、同委員会は申立人に対し何等かの救済を与えなければならない。このように行政庁である労働委員会が救済申立につき許否を決定することは行政処分であり、若し不当労働行為が存するにも拘らず誤つてこれを看過し救済申立を排斥すれば、違法な行政処分に外ならないから、これに対しては行政事件訴訟特例法により取消訴訟を提起しうるものというべきである。

尤も労働組合法第二十七条第六項には使用者は命令交付の日から三十日以内に行政事件訴訟特例法の定めるところにより訴を提起しうる旨規定されておるのに、同条第十一項には単に同条の規定は労働組合または労働者が訴を提起することを妨げるものではない旨規定せられていることが明である。しかるに同条第十一項の訴は民事訴訟の外行政訴訟をも含む趣旨に解するのが相当であるばかりでなく、同条第六項に特に出訴期間が三十日と定められているのは救済命令の確定を早からしめんとする意図に出たものと認められるから救済申立却下命令に対しても取消訴訟の提起は許されるものと解すべきである。被告のこの点の主張は理由がない。

二、次に救済申立却下または棄却の命令に対する取消訴訟提起の利益の存否につき案ずるに、労働委員会において、不当労働行為の救済申立を受けた場合には、民事訴訟に比し、自由且迅速に労使間の実情に即し適切な救済を命じうるから労働組合または労働者はこのような救済を受けるにつき独自の利益を有するものというべく、救済申立が不当に拒否せられたときはこの利益を失うこととなるのであるから、この救済申立拒否の命令に対しその取消訴訟を提起するについてもその利益を有するものというべきである。その判決の確定をまつて労働委員会をして更に救済申立の手続を進めしめることができる。たとえ労働委員会において救済申立につき別個の根拠にもとずき新たな判断をなすことがあるとしても右の利益はこれを否定するをえない。被告のこの点の主張もまた採用するをえない。従つて被告の原告堀本浩に対する訴却下の申立は理由がない。

第二、本案に関する判断

一、本件争議の経緯

原告等は参加人品川白煉瓦株式会社(以下会社という)岡山工場の従業員であつて、同工場労働組合(以下組合という)所属の組合員であつたところ、組合は賃金最低保障確保の目的を以て会社との間に昭和二十五年二月上旬から四月十七日まで数回団体交渉を重ねたが妥結するに至らなかつたので四月十七日組合大会においてストライキを含む実力行使を決議すると共に、原告片山滝男(委員長)、同島村鹿雄(副委員長)、同花家泰二郎(同)、山崎薫(委員)、同浅野伸悟(同)、藤本二郎(同)、同小林豊(同)、同橋本真太郎(同)、同鈴木定(同)外四名(同)を以て闘争委員を組織し、原告砂場稔を専従書記に選任し、更に闘争委員は組合員中から行動部員を選定し、闘争指令の伝達等に当らせることと定めたが、四月十八日には闘争宣言を発し四月十九日から五月十八日まで職場別、工場別、或いは全工場における一定時間の職場放棄を繰返し実施し、五月十九日には会社に対し五月二十日全工場全員二十四時間ストライキに入る旨通告した。よつて会社は即日無期限工場閉鎖を発表し、五月二十日からこれを断行し、次で、五月二十六日岡山地方裁判所から工場立入禁止仮処分命令をえて翌日執行し、その部分は繩張により区劃された。これより先組合はかねて会社に対し争議解決のため団体交渉を申入れていたがその実現を見るに至らなかつたところ、組合の申請により五月二十六日岡山地方裁判所から会社は組合の申入を容れ団体交渉をなすべき旨の仮処分命令が発せられたので五月二十八日会社と組合との間に団体交渉が開かれたが進展しなかつた。しかも既に四月二十八日頃から第二組合が第一、第二、第三工場別に発足し、五月二日には三工場合体した第二組合が結成され、五月末頃にはその組合員は百数十名に達した。しかるに会社が五月三十一日の賃金支払日に「資金繰りつかず賃金支払を六月三日に延期する」旨掲示し組合に通告したことに端を発し、これを承服しない組合から団体交渉を要求すると共に後記険悪な事態を惹き起したが、六月十五日に至り争議妥結の基本線が出され、六月十八日には最低賃金額の保障を覚書として加えて協定案に仮調印がなされ、翌日正式調印を了して漸く争議の解決を見た。而して会社においてはその後七月二十九日原告等に対し懲戒解雇の意思表示をなしたが、その解雇の理由は原判決添附の命令書写記載のとおりであつて、原告等はこれに対し岡山地方労働委員会に救済命令を申立て救済をえた(原告砂場稔の申立は一部棄却)ところ会社及び原告砂場稔はこれに対し被告に再審査を申立て、被告は審理の結果、救済申立を理由がないものとして棄却し、右命令書は七月中旬原告等に送達された。

以上の事実は当事者間に争のないところである。惟うに原告等が解雇された理由は原告堀本浩を除くその余の原告等については本件争議に関連する同原告等の行動にもとずくものであることが明であるから、先ず本件争議の実情と右原告等の行動の当否並びに責任の有無につき判断する。

二、本件争議の実情

原審採用の証拠の外に成立に争のない乙第一号証の五、同号証の十一、乙第二号証の一、同号証の二、(但以上各号証中原審未援用の部分、)当審証人河西源吉の供述をも参酎すれば、当審においても、一部訂正補足する外、原審におけると同一の事実を認定しうるからこれを引用する。右認定と牴触する当審証人宮下大治、同山台輝夫、同赤津勉、当審における原告片山滝男、同砂場稔、同滝川明雄の各供述部分は上記証拠と対比し採用しない。即ち、

(イ)、組合員の会社施設無断使用

本件争議が昭和二十五年四月十八日に開始された後、会社は組合に対し、組合員の職場放棄者はその時間中工場外に退去すること、工場内の食堂、講堂等の会社施設及び会社所有の第三工場正門前広場の無断使用を禁止することを通知警告したにも拘らず、組合はこれを無視して右場所で集会、演説を行い、示威行進、蹶起大会を開催した。

(ロ)、組合員の坐込及び暴行と立入禁止仮処分の侵犯

昭和二十五年五月三十一日午前九時会社が賃金支払を六月三日に延期する旨を発表するや、これが組合員を刺激し、組合員は同日正午頃から第三工場正門前に集まり、恰も団体交渉のため乗込んで来た片山滝男等の闘争委員を迎えて委員等と共に組合事務所に到り、委員等を激励し、委員等もこれに応え賃金を貰うまでは出て来ない諸君もいてくれとの決意を告げて工場事務所に入り、組合員等は工場事務所玄関前の繩張通路内に坐込み、労働歌を高唱して委員等に声援を送つたが、やがて社宅の主婦等も参加して右通路を充したので一部闘争委員行動部員はこれが整理に当つた。折柄会社企画課長碪常和が団体交渉の席上で、賃金が貰いたければ働きに来いと発言したことが闘争委員により伝えられたため組合員の激昂を招き、闘争委員原告浅野伸悟がその真相を確めるため工場事務所に立入らんとしたので、警務長石原勇がこれを制止せんとするや、組合員数名は立入禁止線を突破して石原勇を取囲み、同人をもんだり、蹴つたり、右玄関前旧防空濠の鉄筋コンクリート壁に数回打ちつける等の暴行を加えたため、同人はその玄関先に昏倒し、右事務所内に担ぎ込まれ医師の手当を受けるに至つた。しかも夜に入ると共に組合員等により立入禁止区域を表示する繩張、杭が所々壊されてその禁止区域内に踏込まれ、更に組合員等は工場事務所を取囲み、且同事務所に侵入し仮処分は遂にその実効なきに至つた。

(ハ)、外部団体の協力と会社職員に対する事務所内監禁その他の暴行

本件争議発生後昭和二十五年五月一日統一メーデー大会の席上で組合応援、勝利獲得の決議がなされたのを契機として、岡山県和気郡労働組合協議会(郡労協)傘下の各単産、岡山県窯業労働組合連合会(県窯連)その他の友誼団体から選ばれた委員により品川争議共同闘争委員会(共闘委員会)が結成され、郡労協議長宮下大治(共産党員)が議長に選ばれ、会社従業員万代清、同原告片山滝男も委員としてこれに参加したが、組合員の闘争委員は右委員会に情報を提供すると共に、同委員会から争議の指導援助を受けてその意見を特に尊重する等同委員会と密接な連繋が保たれていた。しかも同月下旬戦線統一準備会加盟諸団体がこれに参加するに及び争議は激化の傾向にあつたが、同月三十一日会社から賃金支払延期が通告されたため、組合の闘争委員は即刻団体交渉開始の応急方策を立てて第三工場事務所に赴き、次で共同闘争委員会は組合応援の方策を決定し、応援団体を動員して第三工場正門前に集結せしめ、その集団の威力によつて事務所内の団体交渉を声援すると共に、第二組合の壊滅を期する手段を採るに至つた。よつて同日午後三時頃第二組合書記長中山恒彦は第三工場正門前において宮下大治等に吊上を受け、第二組合結成の理由について釈明を求められた外、逐時第二組合員が組合員により右正門前に連れ出されては第二組合脱退、組合復帰を強要された。また同夜十一時頃前記碪常和は組合員等のスクラムに囲まれて右正門前に連れ出され台上に立たされ、宮下大治、小野智也(共産党員)から前示いわゆる暴言の釈明と大衆への挨拶を強要され、郡集の罵声の裡に、雨中直立の姿勢をとらされ、赤旗で撫でられる等の暴行を受けながら翌六月一日午前四時に及んだ。また六月一日早朝会社社宅係正宗道夫は第二組合結成に尽力した等の理由で行動部員原告岩田輝等により自宅から右正門前に連れ出され、宮下大治、小野智也、金武夫(韓国人)等により台上に立たされ、右手を後にねじ上げられ、赤旗の竿で腹を押され、肩を突かれ、雨中傘をささんとすればこれを叩き落され、傘で身体を支えんとすればこれを払われ、且第二組合結成の謝罪と組合復帰を強要される等前後三時間に及ぶ暴行を受けた。次で同日午前九時頃には第三工場事務所内にいた第二組合員二、三十名が後記のように、暴力によつて右正門前に連れ出され組合復帰とその挨拶を強要された外、第一(一名)、第二(六名)工場、または自宅(三名)から第二組合員が右正門前に連れ出されて組合復帰を強要された。なお同日会社社宅係井口武松は行動部員原告滝川明雄等から社宅事務所において組合復帰届に署名させられた上午後七時頃右正門前に電話で呼出され応援団体に引渡された。

このようにして六月一日夕方には右正門前の応援団体はその数約五千人に達したが、同日そこで都民大会が開かれ、その大会において工場閉鎖即時撤回、組合案による賃金制度承認等を決議して会社事務長河西源吉に伝え、翌六月二日夜には右正門前広場で労農党黒田寿男の激励演説が行われた。しかもこの状況はマイクを通じて放送されたため同工場内にいた会社職員、第二組合員を畏怖せしめた。

而して組合の闘争委員片山滝男、専従書記砂場稔等六名は五月三十一日午後三時から四時まで第三工場事務所内会議室で賃金支払延期に関する団体交渉の折衝に当り、その終了後会社から闘争委員等に対し退去を要求したにも拘らず闘争委員等はこれに応ぜず右会議室に居残り、午後七時頃から同事務所内の河西源吉を取巻き更に本来の賃金制度改定に関する団体交渉を開くべきことを強要し、午後十一時から翌六月一日午前三時まで中絶後再び強要を継続したが、その頃同事務所は組合員によつて包囲されており、門外における右碪常和吊上の状況がマイクを通じて伝わり、且河西源吉自身休息も睡眠をも与えられないで暴言を浴せられたため、集団の威力に恐怖を覚え、また右碪常和吊上の状況に心痛し、やむなく午前五時から団体交渉の再開を承諾し、以後六月三日深更まで同事務所内で昼夜の別なく十六回(合計時間二十五時間)に亘り賃金改定に関する団体交渉が重ねられた。しかるに当初工場長藤田茂は不在のため交渉は意の如く進展しなかつたところ、藤田茂は六月二日帰来する旨が報ぜられ、これに交渉進展を期待した組合は会社との間に、藤田茂を会社、組合及び町から各二名宛合計六人を差向け静粛に第三工場に迎えることを協定した。しかるに原告橋本真太郎は会社の諒解をうることなく右出迎に参加し指導したばかりでなく、藤田茂が同日午後十一時頃前示黒田寿男の演説の終るをまつて入門し、玄関に向つて進む途中原告片山滝男と二、三言交えるや、忽ち闘争委員行動部員数十名、更に坐込中の組合員社宅の主婦等に取巻かれてもみ合つたが、玄関に出迎えた会社職員に助けられてこれを脱し、玄関から事務所内の特別室に入り鍵をかけて難を避けるをえた。ここにおいて闘争委員原告山崎薫(行動部長)、同鈴木定(統制部長)、同橋本真太郎、専従書記原告砂場稔は特別室窓際の廊下から窓越に、山台輝夫は窓を越えて室内に入り、藤田茂に対し工場閉鎖撤回等の要求書に承認の調印を迫り、社宅の主婦等もこれに加わり、その交渉は翌六月三日午前三時に及んだ。更に闘争委員等は六月三日昼頃労働基準監督署員来場の隙に乗じて特別室に入り込み団体交渉を要求して交渉に入り同日夜半に及んだ。

右のように会社と組合間の団体交渉は五月三十一日から六月四日まで行われたのであるが、その間会社職員は殆んど監禁状態に置かれたのであつた。六月一日河西源吉は朝の団体交渉後坐込中の組合員等のため帰宅を阻まれ、そのまま同夜は他の帰宅のできない職員婦女子等二十三名と上記特別室に難を避けたが、その頃組合員は右事務所全体を取囲み、見張のため右特別室の窓際地上に叺を敷き並べて坐込み、腰板を叩き、窓硝子の破れ目から室内をのぞき込み、職員の一挙手一投足を揶揄し、翌六月二日も監視を続け夜もスクラムを組み、或は叺に坐込むなどして脱出を妨げた。そのため室内の者は便所に入ることも恐怖のためできなくなり、ブリキ罐、灰入火鉢を持込んで用を足し、また食事も六月三日朝の食事以外は辛じて握飯で飢を凌ぐ程度であつて炊事婦が握飯を板に乗せて特別室に差入れんとするのを組合員により引倒されたこともあつた。また同人等は睡眠も僅かに椅子に掛けたままどろむだけで殆んどとることができなかつたし、煙草も買つて喫うことを許されなかつた。このため会社湯地労務課長は遂に発病するに至つた。

なお六月三日朝電話交換台は行動部員赤津勉等によつて占拠され、その了解をえなくては使用が許されず、これにより会社は外部との自由な連絡を絶たれるに至つた。

以上の状態は六月三日夜半過ぎまで継続したのであつたが、六月四日午前三時頃第三工場東門附近の包囲が手薄となつたのに乗じ、工場長藤田茂以下会社職員七、八名一団となり、途中誰何を受けながら東門に到達し、そこで原告片山滝男から制止されたがこれを無視して塀を乗り越えて脱出し、漸く監禁生活から解放された。

(ニ)  行動部員の第二組合員連出し

昭和二十五年六月一日早朝事務所企画室内に第二組合員二、三十名が集合していたところ、午前五時頃県窯連常任書記逸見政雄が同人等に組合復帰を説得に来た後、午前七時頃行動部員原告滝川明雄、同別所信夫等が同室内に侵入し同人等に屋外に出ることを強要し、午前七時半頃には逸見政雄、赤津勉の外組合員、応援団体員十数名が之に加り更に強く退去及び組合復帰、正門内外の組合員、大衆に対する復帰の挨拶を要求したが、第二組合長田中邦三の要求により逸見政雄、赤津勉等は一旦室外に退室した後再び同室内に侵入し第二組合員に対し退去の時間を切り初め、次で行動部員原告岩田輝もこれに加つた上、行動部員、組合員等がスクラムを組み足踏を強くするや、第二組合員は顔色を失い、床上にへばり、相互につかまり合い必死の抵抗を試みたが、更に行動部員原告橋本泰之その他組合員、外部団体二十数名が赤旗を先頭に同室内に乱入し、第二組合員がそれ等の者から背中を蹴られ、引ずられ、或は仰向けに倒される等の暴行を受け、暴言を浴せられるに及び、遂に生命の危険をも感じ抵抗をやめ、赤旗で追立てられながら前示正門前に連れ出され応援団体に引渡された。また同日早朝原告岩田輝その他の組合員が第二組合員正宗道夫を自宅から右正門前に連れ出して応援団体に引渡し、同日午後原告滝川明雄その他の組合員が第二組合員井口武松を自宅から正門前に連れ出して応援団体に引渡し、それ等第二組合員は応援団体の集団暴力行為を受けたこと、その他第二組合員が行動部員によつて探し出され組合復帰を強要されたことは前記のとおりである。

(ホ)、坐込組合員の会社経理課長菊島喜久雄に対する暴行

六月三日午後右課長菊島喜久雄が取引銀行から賃金を麻袋に納めて会社に持ち帰つた際、原告岩田輝が入れるなと呼かけたのに応じ、坐込中の組合員等は菊島喜久雄を取囲み、押し合つたたため菊島喜久雄は身体の自由を失いながらも麻袋を守り通した。

(ヘ)、深夜の団体交渉

昭和二十五年六月四日夜前示事務所内会議室で会社組合間に団体交渉が開かれたが、原告橋本真太郎が中途で窓の戸に鍵をかけ初めたため、これに不安を感じた会社側の委員は同所特別室に引揚げたところ、組合員はその後を追つて特別室に入り込み、坐込んで団体交渉の続行を要求し、翌六月五日午前一時から約一時間半団体交渉が行われた。

三、本件争議の違法性と責任

(イ)、組合活動の正当性

以上認定の本件争議の実情によれば、本件争議における組合活動には多数の暴力を伴う不法行為が含まれているものであつて、裁判所の立入禁止仮処分命令は侵されて組合員は立入禁止区域内に立入り、坐込み、或は事務所を包囲し、建物内の一室を占拠し、更に電話交換台を占拠し、殊に昭和二十五年五月三十一日から六月三日夜半まで会社幹部に対し多くの暴行脅迫を加えて事務所に留まらざるをえざらしめ、応援団体の協力をえて暴力を以て会社職員、第二組合員に対し吊上げ、または第二組合員に対し組合復帰を強要したのであるが、これ等の行為は組合活動としていわゆる穏和な説得、若しくは団結の示威として許される正当な範囲を著しく超えたものと解すべきである。

よつて原告等の責任について審究する。

(ロ)、闘争委員の責任

惟うに、正当な範囲を超えた争議行為については、その行為者ばかりでなく、全般的にこれを企画し、指揮し、若しくは実行した闘争委員においてもその責任を免がれえないことは論をまたない。本件争議についても反証のない限り闘争委員において企画し、指揮し、或は実行したものと認むべきところ、この地位にある闘争委員は争議に当り組合員の組合活動が許された正当の限度を超えることのないように万全の注意をなすと共に、苟も違法な争議行為がなされていることを知りえたときはこれを放置することなく直に阻止するにつき有効適切な処置をとることを要するものというべく、闘争委員が自ら違法な争議行為を企画し、指揮し実行する場合は勿論、違法な争議行為が実行されていることを知りながら、これを阻止しうるに拘らず、放置して制止しなかつた場合にもその責任を負うことを要するものというべきである。しかも闘争委員はその統制下にある組合員、殊に行動部員の違法な争議行為につき責任を負うばかりでなく、密接な連繋ある外部の応援団体の右行為についてもなお責任を免れないものというべきである。而して本件争議においては、闘争委員、組合員、行動部員、及び闘争委員と提携する応援団体等により坐込み、立入禁止仮処分命令の侵犯、会社職員、第二組合員に対する吊上げ、脅迫、不法監禁等の暴行がなされ、殊に碪常和、正宗道夫、及び第二組合員が行動部員等によつて第三工場正門前に連出され、応援団体によつて集団暴力行為、或は第一組合復帰の強要を受けたことは前段説明のとおりである。尤も、組合員等の坐込み、立入禁止区域内への侵入が会社における賃金支払延期の発表に端を発したこと、即ち、これにより更に闘争が激化したことは前記認定の事実に徴して認められるけれども、闘争委員においてはこれを制止する手段をとることなく、却て坐込組合員、応援団体の集団示威力を利用し、賃金問題の団体交渉を有利に展開しようとして積極的態度に出たこともまた前記認定の事実に照し明らかであるから、闘争委員は会社の右発表に藉口してその責任を免れるをえない。また碪常和、正宗道夫または第二組合員等が行動部員により第三工場正門前に連出され、応援団体により暴行を受けたことは前記認定のとおりであるが、外部団体である品川共闘委員会には原告片山滝男、組合員万代清が委員として加つていたこと、及び右暴行を受ける状況は同工場警務室屋上に備えられたマイクを通じ放送されたことは前記認定のとおりであるから、その頃事務所内にいた闘争委員も右正門外で暴行の行われたことを聞き知つていたものと認められる。しかるに闘争委員はこれを阻止するにつき十分な措置をとつたことを認めるに足る何等の証拠もないから、行動部員及び外部の応援団体と前示関係ある闘争委員は右の行動部員及び応援団体の行為につき責任を負わなければならない。以上によれば原告片山滝男、同島村鹿男、同花家泰二郎、同山崎薫、同浅野伸悟、同藤本二郎、同小橋豊、同橋本真太郎、同鈴木定は闘争委員として、また各個人としてその違法な争議行為につき責任を免れえないものというべく、従て就業規則に照し経営体の秩序を乱したものとして懲戒解雇の処分を受けることを免れえないものというべきである。

(ハ)、原告砂場稔(組合専従書記)の責任

原判決理由中この点に関し採用した証拠の外に、原審並びに当審証人河西源吉の供述を綜合すれば、原審認定のように、原告砂場稔は、終始闘争委員とその行動を共にし、昭和二十五年五月三十一日の団体交渉終了後、闘争委員と共に立入禁止仮処分命令を侵して同年六月四日朝まで会議室を占拠し、団体交渉を要求してその後の団体交渉には殆んど出席し、その席上意見を述べたこともあつたこと、及び原告砂場稔は組合員中の年輩者、経験者として高く評価されていたことを認めるに足る。(この認定に反する原審並びに当審における砂場稔本人の供述は採用しない。)従て原告砂場稔は組合員の集団暴力行為、団体交渉の強要及び仮処分命令の侵犯等につき闘争委員と同一の責任を負うべきであつて、これ等の行為につき就業規則に照し経営体の秩序を乱した者として懲戒解雇の処分を受けるもやむをえないというべきである。

(ニ)、行動部員の責任

行動部員原告滝川明雄、同別所信夫、同岩田輝、同橋本泰之の責任については当審においても原判決採用の証拠により、原判決理由中この点に関する説明におけると同様に事実関係の認定、並びに請求の当否を判断するから原判決の右理由を引用する。従て右原告等の行為は正当な組合活動の範囲を逸脱したものとしてその責任を免れえないから就業規則にもとずき経営体の秩序を乱したものとして懲戒解雇の処分を受けるもやむをえないものというべきである。

四、不当労働行為の成否

会社において原告堀本浩を除くその余の原告等を解雇したのは、本件争議における同原告等の行為が正当な組合活動の範囲を逸脱した違法のものであつたことにもとずくものであること、即ち、同原告等の行為につき違法な争議行為が認められ、これに対しては懲戒解雇の処分を以て臨むことを相当とするものであることは前記説明のとおりである。これによれば同原告等に対する右解雇が正当な組合活動をしたことの故を以てなされたものでないことは明らかである。従てたとえ会社が闘争委員であつた右原告等との団体交渉を拒否したことがあり、また同原告等と同一行動をとりながら同原告等に比し軽い処分を受け、またはその責任を問われない者があつたとしても、右原告等の解雇処分が同原告等において正当な組合活動をしたことの故を以てなされたものと認められない以上、これにより同原告等の右解雇につき不当労働行為の成立を認めないことは原判決理由の説明のとおりである。

五、原告堀本浩の責任

成立に争のない乙第一号証の八の中、第十三回審問調書中若狭哲六の供述部分、原審証人久山幹夫、原審における原告堀本浩の各供述を綜合すれば、原告堀本浩は昭和二十五年七月八日午後一時頃第一工場控室で折柄食事中の工員浦光男に対し将棋をしないかと申入れたところ、浦光男においてこれに応じなかつたため、同原告はいきなり浦光男の顏面を殴り鼻血を出させた。この暴行のため後方の窓硝子を壊したことを認めることができる。而して成立に争のない乙第一号証の九の中第十五回審問調書中折田進の供述部分によれば、原告堀本浩は昭和二十五年七月二十三日午後十時頃片上町内において工員折口進と二三口論の末同人の顏面を殴り鼻血を出させたことが認められるところ、当審証人河西源吉の供述によれば、会社においては昭和二十五年六月中本件争議終了後は暴力行使の防止につき特に意を注ぎ、暴力はその程度の軽重を問わずこれを排斥すべきものとして従業員を戒めていた際、原告堀本浩の暴行を見たため、やむなく同原告を就業規則に則り懲戒解雇することと定めたこと、しかるに同原告の行為と他の原告等の行為とはその時が近接していたため右原告等を同時に解雇したこと、従て会社は同原告が正当な組合活動をしたことの故を以て解雇したものではないことが認められる。尤も右証人久山幹夫の供述によれば、原告堀本浩が浦光男を殴打したのは昼の休憩時間中であつたため業務執行に支障を来すことはなかつたこと、その頃他に傷害行為があつたがその行為者は同原告に比し軽い処分を受けたのにすぎなかつたこと、及び同原告は本件争議中行動部員として活動をなしたことを認めることができるけれども、これ等の事実を以ては直に右認定を覆し同原告が右行動部員として活動したことにもとずき解雇されたこと、従て正当な組合活動をしたことの故を以て解雇されたものとは認め難い。しからば原告堀本浩はその傷害行為につき責任を負うことを要し、就業規則にもとずき経営体の秩序を乱すものとして懲戒解雇の処分を受けることを免れないものといわなければならない。

六、結論

以上説明のとおり、原告等に対し救済命令を発した初審命令を取消し、原告等の救済申立を棄却した被告の命令は正当である。従て右命令の取消を求める原告等の本訴請求は失当であるから、原判決中原告堀本浩を除くその余の原告等の請求を排斥した部分は相当であるけれども、原告堀本浩の請求を認容した部分は不当である。よつて原告堀本浩を除くその余の原告等の本件控訴(昭和二十九年(ネ)第一八八九号事件)は理由がないけれども、被告の本件控訴(昭和二十九年(ネ)第一九一一号事件)は理由があるから、民事訴訟法第三百八十四条第三百八十六条第八十九条九十三条第九十五条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 牛山要 岡崎隆 渡辺一雄)

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